2008.7.26-28 |
2008年度ゼミ旅行
高橋ゼミ 青森ゼミ旅行2008 7月26日-28日の3日間、青森県へゼミ旅行に行ってきました。 26日(土) 十和田美術館 27日(日) 青森県立美術館 ↓ 三内丸山遺跡 ↓ 国際藝術センター 28日(月) 弘前市庁舎 ↓ 木村産業研究所 ↓ 弘前公園内 弘前城・博物館 市民会館・緑の森相談所 ↓ 最勝院 ↓ 弘前市斎場 |
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旅行後、各建築についての対談
訪問建物批評 十和田美術館について 山崎×西岡×吉田 西岡 まず、周辺との関係について話をしたいなと思います。僕は、周辺からは少し浮いていた印象をうけたのだけど二人はそれについてどう思った? 吉田 確かにカラフルなアート作品というものは、もとから周辺から際立っているものだから当然と言えば当然と思うけど、、、 山崎 見た目の話では確かに浮いているけれど街との関係を考えたときに街から浮くのではなくて、むしろ街となっていく方向を目指しているんじゃないの?街から作品が見えている事が日常になっていって街の重要なファクターの一つになるという事を考えればあながち浮いているとも言えない気がするね。 西岡 確かに通学路にあって毎日見ていると慣れていって異質な物ではなくなって街になじんでいくのかもしれないね。 吉田 内部からと外部からの印象が違ったね。内部を歩くと外部が丸見えなのに出口が一つしかなくて歩かされている感じがして、外部から見たほどの自由さを感じなかったな。 山崎 美術館の管理という視点から言うと物理的には閉じなくてはいけないというのはよくわかる。でも開放感は今までの美術館と比べてすごくあるなと感じた。そういう意味では美術館っぽくなくて公園のような感じがした。 西岡 いろいろな新しさを感じる事ができた美術館でした。この美術館ができたことによって街とアートの新しい関係がうまれる事を期待します。今後どうなっていくか楽しみですね。(終了) |
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青森県立美術館について 青木×太田×星野
美術館における「自由さ」 青木 僕は前回この青森県立美術館(以下青森)に来たことがあって今回で二度目だったのですが、二人は今回初めて来てみて、印象としてはどうでしたか? 太田 今回この青森県立美術館を訪れる前に、昨日ゼミ旅行初日に同じ青森県の十和田市にある十和田市現代美術館(以下十和田)を訪れているのですが、それを見てからこの青森を見ているのでこの二つの美術館の真逆の印象に驚いています。 青木 真逆とは?プログラムとして? 太田 そうですね。十和田のほうは、作品の多くがコミッションワークであり、在り方としても街に連続していくような感じを受けました。それに対して青森のほうはある従来の美術館の形式を踏襲していて、美術館一つとしての完成度は高いし、展示空間の 「空間」と「作品」のバランスがとても良かったと思います。 星野 私も逆の印象を受けました。ただ圧倒的に十和田より青森のほうが良かったです(笑) 青木 それは何がそう感じさせたのでしょう? 星野 十和田のほうは展示空間をつなぐ回廊みたいなものがあって、見る人はその回廊に沿ってアートを見ていきます。そこにはある強いルールがありました。ただ青森はなんかルールみたいなものはまるで感じず、隙だらけというか、見る順番も自由だし、私 途中で今どこにいるかわからなくなりましたよ(笑)。 青木 実は僕も迷いました(笑)。一時間くらいしてやっとだいたい把握出来てきたというか、本当に迷路の中にアートがあるみたいな感じでしたよ。展示室でアートを見ている感じがしませんでした。今星野さんも発言にもあったのですが、「自由さ」という こと。美術館における「自由」さ、というのはどういうことなのでしょう? 星野 さっき青木さんの発言にもありましたが、迷路性。これは動線に関係していると思います。十和田は展示室を繋ぐ回廊のような空間が、見る順番みたいなものを決めてしまっていて、設計者の強い制約すら感じます。青森はその点、そういうものがない、 というかあるのだろうけど見えてこない。あっちの展示もいけるし、あそこにもいってみたい、と思わせる隙を感じます。それがある「自由さ」を生んでいるのではないでしょうか。 青木 まるでフランス料理のコースと中華料理のバイキングみたいですね(笑)。 星野 そう、フランス料理だといきなりデザートは食べられないじゃないですか。でも青森の場合、いきなりデザートも食べられる感じでした(笑)。 太田 僕はその強いルールみたいのものがもっと青森でも見えて良かったと思うのですが。 星野 ルールというのは土の上向きの凸凹と構造体の下向きの凸凹が噛み合わせている操作みたいなもの? 太田 そうですね。青森の場合そのルールが見えていてもある「自由さ」は獲得出来ていたと思うのです。内部にいて、その噛み合わせ感みたいなものがもっと分かりやすいと良かった気がします。 青木 でもそれは、あえて分からないようにしているのではないのかな?新建築の対談でも西沢立衛さんが、最初にルールを創る青木さんがいて、次にそれを壊すもう一人の青木さんがいる、ということ述べているし、敢えてそのルールを壊しているのではない でしょうか。そのルールみたいなものが訪れた人にすぐ分かられてしまうと、なんだか2時間ドラマの犯人が冒頭で分かってしまう感じがして、急に冷めてしまう。それは相手に想像させたり、期待感を持たせたりすることを止めさせてしまう。「自由さ」を奪ってしまう気がするのです。 太田 確かにそうですね。実は、「ホワイトキューブ」と「土」の展示室は半々くらいにつくってあるらしいのですが、あんまりそんなことは感じなかった。その数の比率よりも、予期せぬ「抜け」や「隙間」の空間からいろんなアートが見えたりして、見ていて先が楽しみになりました。空間の質だけでもなく、アートの力だけでもなく、そのバランスが見る側に「自由さ」を生んでいるのかもしれませんね。 星野 結局今回青森県立美術館の持つ「自由さ」とは、訪れる人に美術館という容器を通して、アートや芸術を色々自由に感じたり、解釈したりする「幅」をつくっているところにあると思うのです。その「幅」を創るために、今まで述べてきた迷路性やルール の不可視化などが大きく関わっている気がします。結局ルールは方法でしかなくて、訪れた人達にとっては全く関係ない。ルールを見に来たのではないのだから。そういう意味で、この青森はまた時に違った顔を見せてくれるのでは、という期待を感じますね。(終了) |
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国際藝術センター青森について 井上×田杉
井上 安藤忠雄建築研究所により設計された国際芸術センター青森は、「アーティスト・イン・レジデンス」というプログラムによるもので、アーティストが一定期間滞在し、創作活動のできる、スタジオ・アトリエを備えた施設でした。前に訪れた十和田市現 代美術館、青森県立美術館とは異なった展示が伺えたと思います。 田杉 アーティストは自然と共に生活しながら、様々に思考し、インスピレーションを受けアイデアを得て、制作に打ち込む。ここは、美術館ではなく、アーティスト自身が、自らを育てる<創造の場>であることが、この施設の“展示”に新しい可能性を生んでいるのではないかと感じました。 井上 美術館のように完成した作品という結果だけを見るのとは異なり、大自然である、この場所でアーティストが深く思考し、手法を探った上で生まれた作品だという事実、むしろアーティストの創作のプロセスを重要視した“展示”が 見られた気がします。 例えば、弧を描いた展示空間では、私は、“展示”に特化した窮屈さは感じなく、作者がいかに試行錯誤したかの、制作の過程が伺えるような、現場の生々しさが残っていると思いました。 田杉 ある期間で育った思考を、一つの結果としてまとめ、投げかけ、体験者がそれを受け、思考することの繰り返しが展示空間には現れます。ここでの“展示”は、一種のコミュニケーションとして働いていると考えます。作者から体験者へ。作者から別な作者へ。 創作活動も作品も入れ替わる中で、建築を含めた環境を背景にストーリーは続きます。自然環境において生物が育ち朽ちるのにも似たサイクルが、“展示”によって人のスケールで展開しているように感じました。 井上 安藤氏の建築は、アートを発信し受信していく人の様々な関係が存在して、新たな創造を生み出す場と機能する。そこで生まれた展示は、アーティスト自身の思考の過程を覗きこんだような気にさせる。美術館とは異なる、アートとの触れあい方がここで はできるのではないでしょうか。(終了) |
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前川建築について 福田×樋口×岩瀬
ゼミ旅行3日目は、弘前市において前川國男の作品を堪能するという計画だった。弘前市庁舎から始まり、木村産業研究所、弘前市民会館、弘前市立博物館、弘前市緑の相談所、弘前中央高校講堂、そして弘前市斎場という順に7箇所を見学した。 岩瀬 弘前で前川作品を多数見学しましたが、どうでしたか? 福田 一日を通して前川作品に触れてきましたが、やはり最後に見た弘前市斎場はとても印象深かったです。 樋口 弘前市斎場は空気の違いを感じた場所でした。 岩瀬 そうですね。特に斎場のエントランスは、低い軒から一見暗い印象を受けるのですが、入ってみると軒天が非常に明るく軒に入った途端に空気が変わったと感じました。 福田 確かにその印象は強かったです。それには中心にある太い柱や格子梁、軒下空間の大きさが影響していると思います。この空間は、斎場に来る人たちをやさしく包み込んでいるようにも感じました。 岩瀬 建物内部にも同じように、場面ごとの空気の変化はありましたね。 樋口 下を向いて待合ホールから収骨室まで歩いてみると、入ってくる光の量によって空気の質が劇的に変化していくのを感じました。そう考えると、収骨室に重心を置いて空気の質を変えているのではないかと思います。 福田 あの収骨室は西側の岩木山に方向を合わせて作られています。収骨室にあるトップライトを通して、亡くなった人の魂が山に帰るようにと設計させているようです。 岩瀬 そうなのですか。僕は炉前ホールと待合ホールでは漂う空気の重さが対照的だと感じました。収骨室はその2つの空間の中間的な場所だと思いました。悲しみの中にも、どこか死者と別れた後の生活を示唆するような空気が流れていたと思います。 樋口 僕は空気の重さという点では、収骨室の方が重く、他の空間と比べても明らかに異質だったと思います。あのトップライトは、その場の空気を重くしている最大の要因だったと思います。 福田 私は収骨室よりも炉前ホールの方が重々しい空気を感じました。また、収骨室はこの建築空間の中で、最も重要な場所として作られたのではないかと思います。 樋口 3人ともそれぞれ感じたことは違うようですね。でも、収骨室の空間に特別な質があると感じているという点では、共通していると言えそうですね。 岩瀬 この弘前市斎場は、個人との最後の対話の場であると共に、私達にとっては前川氏との最後の対話の場でもあったと思います。一日で同じ建築家の処女作から晩年の作品までを見ることは、非常に貴重な体験だった。前川國男がコルビュジエの元で学んだ近代建築のあり方を、日本でも実現しようと試みたところから、次第にその意識が変化していく様を作品を通して感じることが出来た。(終了) |
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3つの美術館を通してみて 小島×小倉×川松
ゼミ旅行で見学した3つの美術館(十和田市現代美術館、青森県立美術館、国際芸術センター青森)を通して話し合いました。 小倉 美術とのシキイっていう面で見ると、十和田美術館は街とアートが近いですよね。 川松 西沢さんのやっていることは、アートと建築を等価に扱うことで、街とアートの距離を近づけているんじゃないかな。 小島 細い敷地の中で箱が回転しながらいろんな方向性を持っている。これも様々なアートを内包する箱がいくつもの顔になって街と向き合っている。 川松 そうですね。だから建築やアート、街、3つとも並列してきますよね。 小倉 それに対して青森は内部で完結しまっている気がして… 小島 青森は外部にある無料ゾーンのトレンチ部分は美術館と触れ合う場所になっているけど、美術館自体は閉じていて、開くイメージは無かったのかな。 川松 青森県立美術館は、三内丸山遺跡一帯を含んだ青森総合芸術パークという計画の中核をなす施設として建てられている。トレンチがキーワードになって造られているというのは場所とうまくつながっていたと思います。 小島 国際芸術センターの場合は、周辺の山並みに溶け込む様に自然と喧嘩しない建ち方をしていたね。山の持つポテンシャルが生かされていて、美術を見てもいいし、山に虫を取りにいってもいいような… 小倉 素敵ですよね。私は森という環境が外界からアートな世界を切り出しているような気がしました。あの環境に好きなだけ滞在して、創作できるのはうらやましいなと思います。 川松 そうすると、この3つの建築を見たときに、場所・建築・アートという関係性の中で、建築と場所、建築とアートという関係の扱いの違いが、3つの建築の違いとして、見えてくるよね。 小島 それは、アーティストと建築家の関係、また建築家と地域の人の関係にも似ているかもしれないね。いろいろな問題もあるけど、それは今も昔も同じで、これからも試行錯誤していくことだと思います。(終了) |
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